ACT 9 CRY FOR THE MOON

「感情による、霊力の暴走を制御することが先決、か」
 眼が覚めた時、聞こえたのはあやめのつぶやきだった。
「……元々、マリアに霊力の自覚は皆無……、この分だと霊子力エンジンとの適応に時間がかかるかも……」
 薄く眼を開けると、ベット脇であやめが爪を噛んでいた。その瞳の中には感情は伺えない。
(あやめさん……?)
 声は出なかった。
 あの、身体から体温が噴き出すような感覚が霊力というものだろうか?
 私は、その霊力のせいで気を失ったのだろうか?
 だが、ここに座っているあやめと言葉を交すのは、ためらわれた。
(この人は、私の知らないあやめさんだ……)
 いつも、マリアを案じている、他人の事を案じているあやめではない。本能的にそう、思った。 
 動く気配のないマリアの顔を覗き込んでから、あやめは部屋を出て行った。大聖堂に戻ったのであろうか。思わぬ伏兵に月長石どころか、ホープダイヤまで奪われたのだ。大変な騒ぎになっているだろう。
 マリアは身を起こせるまで回復すると、あやめの部屋に運び込まれていることを知った。窓から見下ろす街に、人工の光が溢れている。時計を見ると、真夜中にはまだ間があった。
 けだるい四肢を引きずって、熱いシャワーで全身を打った。白い肌を水滴が滑り落ちてゆく。
 マリアは顔を覆った。瞳からあふれ出る涙を、シャワーの雨だと、自分を誤魔化せなくなったところで、彼女はその場にしゃがみこんだ。

 日付が変わったところで、扉がノックされた。
「失礼いたします。ミス・タチバナにメッセージが届いております」
 マリアはローブ姿のまま、ボーイから封筒を受け取った。
 この場にマリアがいると察しをつけそうな人物はあやめ以外には一人しかいない。
 マリアはメモを一度だけ読み下し、捨てた。
 唐突にタロウ・カードの「The Fool」を思い出す。
 ただ一つの物しか眼に見えていない愚かな男。
 ただ前に進むしかしらず、その先に何があるのか考えようともしない男。
 マリアを表したカード。
(まさに、私ね──)
 プレアードに魅かれてからのマリアも、同じように周囲が見えていなかった。
 自分がどうあるべきかさえ、見失っていた。
 今、こうして呼び出されてみても、まだ心の中にいくばくかの期待が残っている。
(でも、愚かだと判っていても、踏み出さなければ始まらないのだわ)
 たとえ、踏み出した先が崖の下──『死』であっても。 
 マリアはローブを肩から落とすと、安っぽい男物の服に手をかけた。

 ガラスの割られた紳士服の店。店内は略奪で荒され、ニューヨーク市警の接収を表すテープが張り巡らされている。人の立ち入った気配はない。だが、マリア
はこの地下で彼が待っていると確信していた。
 階段の電灯はかろうじてついた。以前、天井に発砲したため、中に光は望めない。多少危険は覚悟の上で、明りをつけたままマリアは降りて行った。
 以前の「シャイレーン」のカウンターに、プレアードは腰掛けていた。
「……よう。来てくれると思っていた」
 彼女を裏切ったはずの男は、屈託のない笑顔で出迎えた。
 マリアは初めて、自分のほうからプレアードに抱きついた。ぶつけるように唇を重ねる。プレアードは当然のように、マリアの身体を抱きとめた。
 静寂の後、マリアのほうから身体をもぎ離した。
「指輪を返してちょうだい」
 マリアは、手を差し伸べた。
「──求めるものが違うんじゃないのかい?」
 プレアードは静かに微笑んだ。そして、同じようにマリアに向けて手を差し出した。
「君が、俺の手を取ればいいんだよ」
「……どういうつもり?」
「俺が望んでいるものは判っているはずだ───君とこれらの宝石だけだ。あとは必要ない」
「私には、あやめさんを裏切ることは出来ないわ……」
「まだ、判らないのか? 君はあの女に利用されてるだけだぞ」
「じゃあ、貴方は、私を利用する気がないとでも言うの?」
「ないと言ったら、君は信じるか?」
「……」
「君は俺や、あのアヤメという人を信じているわけじゃない。信じたいだけだ」
 プレアードは冷徹に真実を告げた。
「君だって、俺にすべてを話してはいないだろう?──たとえばその金のロケット」
 マリアは、はっと胸に手をあてた。
「君は、俺にはほとんど事情を話してくれなかった。アヤメのことも、婆さんのことも──俺達は、互いに許し合っていない。つまり、そういうことだ」
「……」
「──だが君さえすべてを俺に預けてくれたなら、俺は君にすべてをゆだねる」
「そんな……」
 マリアは唇を噛みしめた。
「君が俺に何を望んでいるかも判っているつもりだ。無償の愛情、命がけの愛情──君は、自分が思っている以上に、脆いんだよ。『守ってくれる人』『助け
てくれる人』を求めていながら、自分一人で何でも出来ると思い込んでいる──」
 プレアードはマリアを抱き寄せた。
「人間は、本当の意味で生まれ変わることは出来ないんだ。君は何事か知らんが、過去に魂を置いてきている。なのに、生き続けて行こうとしている。生きている
のは過去があることと同義だろう? 生き続けてゆくのは、過去を増やしてゆくことだ。それに目を背けて、一人でやってける人間だと自分で思うかい?」
「私は……」
「守られるだけの女では嫌、か? ではこれならどうだ?──君が望むなら俺は、君を助けることが出来る。その代わり、君にも助けてもらいたい。君の特殊な能力で」
「プレアード……」
 マリアは眼を閉じた。
 この人は、私を愛していない。
 こんなのは、愛情なんかじゃない。
 プレアードは嘘はついていない。あくまで誠実にマリアに接していた。それが哀しかった。
「……離して」
 マリアはプレアードの腕から逃れた。確かに、彼に期待していたのかもしれなかった。過去を打ち消すだけの現在を求めていたかもしれなかった。
 けれど、本当は最初から気付いていた。プレアードの腕の中には、マリアの存在理由はない。彼と共にあって、生きる意味はない。
 彼の胸に、エンフィールドを向けた。
 プレアードは除けようとはしなかった。
 引き金を引く。
 彼はゆっくりと唇に笑みを浮かべて、その場に崩れた。
 マリアは悲鳴を堪えた。 
「訊かれたことが、あったわね。トスカの魂は、大天使ミカエルによって救われたのか、と。私には──今の私になら、その答えがわかるわ」
 マリアはプレアードに近づいた。エンフィールドの銃口は彼に向けたまま。
「彼女の恋人への愛なんて、自己欺瞞にすぎないわ。トスカは『恋人への愛に生きた』と歌った。けれど、それは違う──彼女はね、自分一人の愛に生き、自分一人の愛に死んだのよ。他の何者も、彼女の中には介在していない。
 大天使ミカエルの救いは、彼女には必要ないの。彼女が必要としているのは、彼女一人なんですもの」
 ひととき、そうほんのひととき、自分もトスカのような「恋に生きる人生」を夢見た。
 けれども、マリアがマリアであり続ける以上、その手を取ることは許されなかった。同じ過ちは繰り返さぬと決めたのだから。
「間違ってたよ、そもそもの最初から、ね──君は『トスカ』なんかには似ていない。あんな脆弱な歌姫なんかじゃない」
「そうね。私は──貴方が死んでも、後を追ったりしないわ」
 トスカのように、自分だけの愛に生きた貴方を追っても、仕方のないこと…… 
「私は生き残ることに決めたのよ──こんな命でも、誰かの役には立ちそうだもの」
 マリアの脳裏には、指輪を見つめて、幸せそうに微笑む老婦人の姿があった。
 絶対に戻ってこいと、戸口で喚いたアニタの姿があった。
 逝ってはいけないと、髪を撫でてくれたあやめの姿があった。
「私には、護りたいものが出来たの」
 あの人のように。
 目の前の死に向かいつつある男と、似ているようでまるで似ていない男のように。
「……そう。それでいい」
 プレアードは眼を閉じた。
 口元だけで笑う。
「それでこそ、君だよ。マリア」
 かすかな胸の隆起が止まる。
 これも、マリアの霊力のなせる技なのか、男の魂が駆け去ってゆくのが、確かに感じられた。
 それでも、最後まで、マリアは彼に銃を向けたままだった。
 マリアは歌姫トスカの最後の台詞をプレアードに送った。
「プレアードよ──また、あの世で」

           *   *   *
      
「兄貴!?」
 甲高い喚き声が聞こえた。
 階段を走り降りてきたのは、もちろんレオンであった。プレアードを見つけ、立ち尽くす。 
「マリア……、殺ったのは、お前か」
「……ええ。そうよ」
 レオンがナイフを抜いた。マリアは彼を見つめ返した。
 宙に浮いている気分だった。プレアードの死体も、レオンが怒りに任せてナイフを突き出してくるのも、現実感がまるでなかった。
 真綿を踏んでいるような足取りで、かろうじてマリアは除けた。
 たたらを踏んだレオンが、横薙ぎにはらった。
 思わず構えた右腕に、痛みが走る。
 白いブラウスに血が湧き出ていた。 
 レオンはがむしゃらにマリアに突進してくる。マリアは壁際に飛びすさった。
 距離を置く。接近戦の心得はあっても、レオン相手では不利だった。
 マリアは、横たわるプレアードに眼をくれた。彼の手の中に、まだ二つの宝石が残っている。逃げる訳にもいかなかった。
 腕の痛みが増す。エンフィールドの引き金を引く力がこもらない。
 そうと見てとったか、レオンは余裕ありげにプレアードに近づき、その掌から宝石を取り上げた。
「お前みたいなあばずれが、聖母様とおんなじ名たぁ、笑わせるぜっ!」
 レオンが乱杭歯をむきだして笑った。その顔には、もはや正気はなかった。
 両手に持った二本のナイフを交互に突き出す、マリアは右腕をかばって幾度か除けたが、腹に蹴りを受けて仰向けに転倒した。
 すかさずレオンが馬乗りになる。マリアの顔目がけてナイフを振り降ろそうとした時、銃声が鳴り響いた。
「シャイレーン」の入り口に人影が現われていた。
「その子をまだ、殺させる訳にはいかないわ」
 マリアには、薄暗い戸口に立っている人物が、ぼやけて見えた。
(誰? 私を迎えに来たの──?)
(天使?──それとも、悪魔?)
「くっ……」
 レオンはマリアの上から退いた。相手がもう一発、威嚇したが、足を止めることなく、裏口に消えた。
「──マリア!?マリア、しっかりなさい!」
 マリアは霞んだ眼を見開いて、抱き起こした女性に顔を向けた。
 藤枝あやめだった。
「マリア……。間にあって良かった」
 あやめは、マリアの腕を取ると、簡単な止血を施した。
 そして、プレアードの死体を見つめて、悲痛な表情を浮かべる。
「……私が、殺したんです」
「──マリア」
「殺すしか、なかったんです」
「……」
「私は、人を殺す以外の能がないんです。おわかりでしょう? 小さい頃から戦いの中に身をおいてきて、戦うことしか知らなくて、好きになった人だって、平気で殺すことが出来るんです。私は、貴女に──慈愛のかたまりみたいな貴女に、優しい声をかけて貰うに値しない女なんです。……放って置いてくれませんか?さもなければ、もし私のような人間にも慈悲を与えてくれるというのなら──裁いてくれませんか? ただの人殺しの私を」
 マリアの瞳は乾いていた。
 みずからが手を下して終わらせた恋に、一粒の涙も捧げることは出来なかった。
 マリアは、一時は解放しかけた感情をまた心の鎧の中に閉じ込めたのだ。
 おそらくはプレアードを撃った瞬間から。
 あやめは思いきりマリアの頬を叩き、怒鳴った。
「自分を卑下するのはやめなさい、マリアッ!
 貴女が戦う事でしか生きられないというのなら、私が敵を与えてあげる。
 私と一緒にいらっしゃい、貴女の在るべき場所へ!」
 そして、彼女は胸の中へマリアを抱きしめた。
「お願いだから……、そんな儚ない顔をしないで。マリア……、戦いの中でしか果たせない出会いだってあるのよ……」
 あやめはマリアの肩に顔をうずめて泣いた。
「そう、私にもあるわ……」
「……」
(──私と、人との縁は、戦場にしかないのか)
 隊長。プレアード。こんな出会いと別れしか、私には与えられていないのか──。
「……一つ訊いても、よろしいですか?」
「何かしら?」
「私のこの霊力は、その『帝国華撃団』では破壊にしか、活用できないのですか?」
「それは……、貴女次第ね、マリア」
「そうですか……」
 血塗られた道ならば、どこへ行っても同じことか──。
 マリアは右手に下げたままのエンフィールドを見つめて言った。
「……あやめさん。私、日本に行きます」


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