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宴の前の浮き足立った空気は万国共通のものなのだろうか。
陽が暮れると街灯のほんのりとした灯と、色とりどりのイルミネーションで巴里はますますお祭り騒ぎの様相を呈していた。
石畳のあちこちで、アコーディオンやギターの伴奏でダンスの輪が出来ていた。
「踊ろうか?」
民俗衣装や、とっときの晴れ着を着た娘達を眺めていたマリアに、大神は声をかけた。そう難しくないステップなので、見ている内に覚えてしまった。日本と違って二人で寄り添っていても誰の眼も気にならない気安さも手伝って、ついと手を伸ばしマリアをダンスの輪の中で誘い込んだ。
「大神さんったら」
マリアは苦笑しながらついてくる。
だがマリアのすらりとした長身や、細く揺れるプラチナブロンドはここでも目立つらしく、二人は口笛で迎え入れられた。はじめは恥ずかしさからぎこちなかったマリアも、スカートの裾をくるりと回すたびにとろりとした笑顔になった。
そんな彼女に巴里っ子たちは喝采を送った。
それから二人で手をつないで市内を散策した。
似顔絵描きにマリアの肖像をスケッチしてもらったり、出店をひやかしたりして楽しんだ。
公園の一角の森の入り口で、鳥や観賞魚、小さな動物達を打っている店が出ていた。
「ペットショップまで出店かなあ」
大神は首をひねった。
「なんだか日本の縁日に似ていますね」
「本当だ。なんでもありなんだね」
「まあ、この小鳥」
マリアが声をあげた。
ブロンズの鳥籠の中に、瑠璃のような深い青の羽根の鳥が一羽、ちょこんと止まり木に乗っていた。
「『青い鳥』ですね。ああ、アイリスやレニが見たら喜ぶのに」
「・・・連れて帰ったら?」
「え? 日本までですか?」
「飛行船に乗せていってもらえないかな。俺からのお土産」
「それは構いませんけど・・・、この子、地球を半周もして大丈夫かしら」
「大丈夫だろう。なんせ、幸せを呼ぶ青い鳥なんだから。その程度のことじゃくたばらないよ」
「おかしな理屈」
マリアは笑ったが実際に鳥籠を渡されると眼を輝かせた。
「ジゼルとケンカしないように気をつけなくちゃ」
すでにくちばしをつついたりして夢中になっていた。
「さてはアイリスやレニをダシに使ったな?」
「え? 何です?」
「いや。可愛いなと思っただけさ」
「ええ、本当に可愛いですよね」
「───まったく」
「・・・で、俺、ここに泊まっていいのかな?」
二人は夕食を終えてホテルに戻った。外ではまだまだ喧噪が続いている。マリアは明日も花小路とともにオペラ座での仕事が入っているので、少しは身体を休ませようと戻って来たのだ。
「・・・マズイよな、やっぱり」
大神は頭をかきながら部屋を見回した。
「でもゲストルームもありますし、私の護衛ということになってるんですから、ホテルも何も言わないと思いますけど」
「うーん。じゃあ、お言葉に甘えて」
大神はあっさりそう言った。
「実はいうと、せっかくマリアと一緒なのに、わびしく一人のアパルトマンに戻るなんて嫌だったんだ」
マリアがくすっと笑った。
マリアがバスを使っている間、大神はテラスへと出ていた。
眼前のコンコルド広場には、今や巴里の風景に馴染んでしまったエジプトのオベリスクが建っている。そこを起点とするシャンゼリゼ通りの行く手には凱旋門が浮かび上がっていた。ふだんは、隣接する海軍省の窓から見下ろしている風景だが、こうして最高級ホテルの、しかもマリアと共にいる部屋から眺める景色は、例えようのない美しさだった。
シャンゼリゼにはトリコロールの国旗が飾り付けられ、明日のパレードを待っている。だが待切れない人々が夜を徹して騒ごうとひきもきらず押し寄せている。
大神はふと後ろに気配を感じて振り返った。バスローズ姿のマリアが彼の肩ごしに、巴里の街を眺めていた。
「夜景、綺麗ですね」
「うん」
「ここが、今の大神さんの街なんですね」
「・・・」
「私、以前ニューヨークに住んでいたでしょう? その頃、街を眺めるなんてこと、意識したことなかったんです」
「そうか」
「帝撃に誘われて、離れる段になって初めて摩天楼を見上げました。でもやっぱり、あそこが私の『街』だったなんて思えません。私にとっては帝都東京が、唯一私の街だと言えるところです」
「そうだね。俺も栃木の実家とか、江田島とかで暮らして来て、時間で言ったら帝都が一番居た時間が少ないよ。でもやっぱりあそこに帰るんだって、ずっと思ってる」
「・・・」
「巴里は嫌いじゃないよ。みんな良い人ばかりだし、勉強になる。でもやっぱり俺は異邦人なんだ」
大神はマリアに向き直った。
「それにここには、君がいない」
「大神さん・・・」
「マリア」
大神がマリアの腕をつかむ。長い時間と距離を隔てていた二人がやっとお互いの体温を確かめ合おうとした時、けたたましく電話のベルがなった。
「あ・・・」
マリアは大神から離れると慌てて室内に駆け込んだ。
「アロー?」
相手の声は後を追って来た大神にもよく聞こえた。
『マリアくんかね。先刻から何度もかけていたんだが。随分と遅くなったようだね』
「花小路伯・・・。申し訳ありません」
『いや、責めとるんじゃない。大神くんが一緒ならば何も心配することはないのだからね。それはそうと明日なんだが───』
「はい」
『ドレスは合わせてみたかね? 君の部屋に運ばせておいたはずだが』
「ドレス?」
『そう。明日オペラ座へ来ていくドレスだよ。実は君を驚かせようと内緒で用意していたものなのだ』
大神は部屋を一通り見渡し、クローゼットの前に積み上げられている箱を取って来た。
『見立てはかえでくんに頼んだ───わしと米田くんからのプレゼントだよ』
箱を開けると、深みのあるエメラルド色の絹のドレスと黒のショールが入っていた。どちらも裾の細い縁取りは金だった。別の箱には黒いハイヒールも入っていた。
「花小路伯、これは・・・」
『わしも米田くんもな、君の父親代わりをもって任じておるのだ。それならば娘にふさわしい支度を整えねばなるまい。ましてこの巴里の、いや欧州から集まってくる大神くんの懇意にしている人物が会する場には。明日は欧州中の賢人機関や政財界の連中への顔見せだからのう。もちろん軍の主だった者も来るしな」
「伯・・・」
『今日、誰にあっても大神くんのことを誉めておったよ。才能、努力そして何より誠実さ。彼はね、ここでも早やひとかどの男として認められつつあるのだ。そして彼がエスコートして現れるのは、明日が欧州デビューとなるマリアくん、君なのだ。さぞかし、品定めの眼は厳しいものと覚悟しておかなきゃならんぞ』
「・・・はい」
『脅かす訳ではないが、そんな訳で君達はいやがおうでも注目を浴びることになるだろう。今日は早く休んで長旅の疲れをとりたまえ。爺の苦言と思うてな』
マリアは声を詰まらせた。
「花小路伯・・・。私はいつも良くしていただくばかりで、何もお返しすることが・・・」
『なに、わしも米田くんも、それ以上のものを君や大神くんに貰っておるよ」
だが電話を切る前、花小路は高らかに笑った。
『だがわしの方が役得だな。何といっても米田くんは、君がそのドレスを着て大神くんに寄り添うところを見られないのだから』
受話器を置いたマリアは、眼を真っ赤にして大神の胸に顔を埋めた。その髪を優しく撫でてやりながら、苦笑まじりに耳許へささやいた。
「まったく、花小路伯にも米田長官にもかなわないよ。俺だってずっとマリアには何か贈りたいと思って果たせた試しがないんだ」
マリアはしゃくりあげながら聞いていた。
「先刻やっと考え付いたのに、言う前に先を越されちゃったよ」
「なんです?」
小さくマリアが尋ねる。
「泣き止まないと教えられないな」
大神は指でマリアの涙を拭うとおどけてみせた。そして時計を見て彼女の肩を抱きかかえるようにして、再びテラスへ出た。
「そろそろ12時だ」
マリアは一生懸命、涙を押さえようとした。下をのぞくと群集の数は更に増え、さざめきも大きくなっていた。
「巴里祭当日をみんなで迎えようとしているんだ」
そういってまたマリアの髪を撫でる。
「ほらほら、おめでたい日に涙は似つかわしくないよ」
「───はい」
マリアはやっとのことで笑った。
「そうそう、その顔が見たかったんだ」
人々の中で口笛や国家の唱和が大きくなってくる。二人はしばらく無言で期待感に満ちた空気に身を委ねていた。
大神がそっとマリアの手を取る。
12時の鐘が鳴った。
「結婚してくれないだろうか」
巴里祭の開幕を飾る花火が二人の上に降って来た。赤、青、金銀の光が群集の歓声の中で弾け飛んだ。
だが、その空を仰ぐこともなく、マリアと大神の間の時間は止まったままだった。
「・・・大神さん」
「こういうのはプレゼントとは言わないか。ほとんど俺の願望だもんな」
「・・・本当に?」
やっとのことでマリアが口にしたのは、そんな懐疑的な言葉だった。
「本当だとも。俺が嘘ついたこと、あったかい?」
「いえ・・・。でもっ」
「マリアと離れて、ここで暮らす間にずっと考えてた。今はこうやって、もしかしたらマリアも帝都で俺のことを想ってくれているのかもしれないと自惚れてもみた。心の中に、ずっとマリアが居てくれた。
だいぶ待たせてしまったけど・・・、だからこそ、きちんとした形にしたい。大きな幸福はあげられないかもしれない。けど、もし少しずつ小さな幸福を積み重ねていくのでいいと思ってくれるなら───俺はマリアと一緒に生きたい」
マリアは一度だけゆっくりと頷いた。
「答えを聞かせてくれないだろうか」
「大神さん・・・喜んで。私でよければ、いつまででも、お帰りをお待ちしてますから」
今度こそ、掛け値無しの笑顔を浮かべるマリアの頬に花火の赤が照り映えた。
「ありがとう。良かった」
大神はマリアの額に唇を寄せた。
「さあ休もう。明日はハードみたいだから」
「ええ」
マリアはテーブルに置いていた鳥籠を取り上げてふと立ち止まった。
「どうした?」
「青い鳥は・・・、幸せの青い鳥は本当にいるのかもしれないと思って」
「・・・そうだね。俺の青い鳥はここにいるけどね」
[fin]
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