夜空の花

「巴里の女の子なんかと浮気したら許さないわよ」

どうしてあんな可愛げのないことを云ったのだろう。
苦笑しながら窓から去って行った彼は、どう思ったのか。
これだから年上の女は扱いにくい、と?
それとも何をいまさら勝手なことを、と?

「さあパァーっとやろうぜ、パァーっとよ!」
すでに顔の赤い米田の号令で宴会は始まった。
一応、今日は主賓。
心づくしの料理が並べられた楽屋で、かえでは微笑んでみせた。いつものようにカンナが豪快に食べ、それにすみれがからみ、マリアはすみれの杯を取り上げ、さくらがアイリスの世話を焼き、アイリスは私にワインを注いでくれ、そして紅蘭はとっておきの隠し芸を披露してくれた。いつものように暖かく楽しかったけれど、頭数はずいぶんと少ない。
巴里に派遣中の大神、欧州公演中の織姫とレニ、それから帰国途上にあるはずの、彼。
けれども寂しさを微塵も見せる訳には行かなくて。
いつもより多く呑んでしまった。

中庭から秋の虫の声が聞こえる。辺りはひっそりと静まりかえり、人の声も車の音も聞こえない。だいぶ夜も更けたあたりか。各人からふるまわれたアルコールのせいなのか、かえでの意識はぽっかりと浮上してしまった。
手探りで椅子にたどり着くとひっかけてあったサテンのガウンを羽織る。ひどく喉が乾いていた。
厨房まで素足でたどりつく。ひんやりとした足の裏が心地よい。
だいぶ酔っているんだわ。
グラス一杯の冷水を舐めるように飲みながら部屋まで戻った。
灯りを消したままの室内には、窓から月明かりが差し込んでいた。
誘われるように窓を開け、椅子を引き寄せた。さすがの銀座の往来も絶えていたが、遠く低く弦の音色がかえでの耳に届いた。
ヴァイオリン弾きのおじいさんがいる、と由里が云ってたっけ。
かすかな音色に眼を閉じて耳を傾ける。
「二十五歳か……」
今日から二十日間、彼より、二つも年上。
一般的にいえば二歳違いなんて大した障害じゃない。ただそれに上官と部下という立場が附加されると途端に重くなる。
本当は不安も辛さもさらけだしたい。けれど副指令職にあるものが恋愛に溺れるなんて許されない。
つい自分を戒めてしまう。
それがよそよそしく見えることも確かで、表立っては距離を置こうとするかえでに、彼が苛立ちを隠さないこともたびたびあった。
(もっと自分に頼ってもらえませんか)
そのたびに、充分頼りにしてるわよと笑うのも、お互いに嘘だとわかっているのもいつものこと。
理解されていると嬉しく思う反面、情けなく思う。
……そうよね、そんな女には嫉妬する権利なんてないわよね。

巴里の女の子なんかと浮気したら許さないわよ。
本当に冗談のつもりだった。
軽く笑っていってのけるはずだったのに、思いのほか込められた感情は強く、激しく。
彼が去った後の自室で、かえでは呆然と自己嫌悪に落ち入るばかりだった。
欺瞞。独占欲。嫉妬。
ありとあらゆる醜い感情でつくられたもの。それが私。

月が綺麗だ。手元のグラスの小さな水面に浮かぶまばゆい光。
手に入らないものを欲しがることを英語で「cry for the moon」という。
今の私のことみたい。
私は彼と共に戦うことは出来ない。
待っているだけ。
ただ信じて見送ることだけ。
いつかきっと、置いていかれてしまう。
それがわかっていて、どうして素直になれるだろう。

どこからかヒュウ、と口笛が響いた。見下ろすと、闇に沈んだ街路に白い影が一つ。心臓が跳ね上がるのがわかった。そこには、居るはずのない人。誰よりも居て欲しい人。
影はこちらが気がついたことに気付いたのか、ここが二階であることをものともせずにふわりと窓辺に現れた。
「ただいま戻りました」
声も出せず、眼を見開いていると彼はいたずらめいた、子供のようないつもの表情を浮かべた。
次の瞬間、、かえでは男の腕の中に抱き寄せられていた。
「いやだなあ、固まっちゃって。もう少し感激してくれると思ったのに」
「加山、くん?」
「はい。ただいま」
数ヶ月ぶりのぬくもりに、かえでは我に返った。
「ど……どうして」
「どうしてって、それはないでしょう。今日に間に合いたくて一生懸命帰って来たんですよ」
拗ねるような台詞とは裏腹に、加山の声音は柔らかく暖かい。諭すようにゆっくりとかえでに言い聞かせた。
「大切なかえでさんの誕生日ですからね」

「お誕生日おめでとうございます」
語尾に音符のつきそうな勢いで嬉しそうにいう加山に、反射的にむっとして言い返した。
「……私、また一つ年上になったのよ?」
「ええ。でも来月にはまた一歳差まで追いつきますよ」
「来年の今日になったら、また二歳差になるわよっ」
「そしたらその一ヶ月後にまた追いつきますって」
彼は私の強情なところなんて見抜いている。年下のクセに、憎らしい性格してるわ。
先刻まで頭の中を巡っていたネガティブな言葉は瞬く間に溶け出してしまった。言い返す代わりに涙がこぼれた。
「いやね、酔っているのかしら……?」
加山は子供をあやすようにかえでの背中を撫でさすった。
「どんなに離れても俺が必ず追いつきますから。待っていてください」
クスッと笑い声がもれた。やっぱり見抜かれているみたいね、と小さくつぶやいて肩に顔を埋めると何です?と加山も笑った。
でも、癪だから一度くらい主導権を奪ってみようかな。
「加山くん」
「はい?」
かえでは彼の頭を引き寄せて、ゆっくりと唇を重ねた。
「……お帰りなさい」


これが加山×かえでの初書きだったことに気付いて呆然としているカワモトです(笑) あんなにこんなに妄想の種を抱えていたのに。これからずっと楽しめるってことですね、きっと。
私の中では大神とマリアはほのぼのカップル、加山とかえでは内心どろどろとしたものを抱えたカップルでございます。バースデー記念にしてはダークだったかとちょっと反省。
「夜空の花」をBGMにかけてもらえると嬉しいです。
しかしラスト、このままでは終わらないんでしょうねー、主導権を奪い返した加山……。