春雷

featuring sakura singuji

 春の雨は嫌い。
 せっかく一冬の厳しさに耐えて咲き始めた花達を、散らしてしまうから。
 でも、春の雷はもっと嫌い。
 何故って・・・。

 帝国歌劇団に入団してから、初めての長期休暇。
 さくらは実家のある仙台に帰ってきていた。
 無事、黒之巣会と降魔の一党を退けたことを父の墓前に報告したさくらは、そ
の脚で、寺の裏手にある小高い丘へと向かった。そこには、太い幹の半ばから、
無残に折取られた桜の樹が一本立っていた。
 その背後の空が、雲を湛え、曇り始めているのが気にかかったが、引き返す訳
にはいかなかった。
 桜の樹は、春だというのに芽ぶくでもなく、黒い幹を風にさらしていた。
 十数年前、雷が落ちてから、ずっとそうだ。
 さくらは、樹の根元に花を置き、線香に火をつけると神妙に手を合わせた。
「たけしくん・・・」
 幼い頃、自分のわがままで死なせてしまった幼馴染みに、さくらは語りかけた。
「あたしね・・・、帝都で女優なんかやってるんだよ。失敗ばっかりだけど・・
・。たけしくんが見たら大笑いするかもね、『おてんばのさくらには似合わな
い』って」
 さくらは一人寂しく笑った。
「でもね、本当は違うの。帝都でも刀を振り回して、敵と戦って、女の子らしく
なんか、全然なってないわ」
 恐ろしかった戦いの数々を思い出す。父、真宮寺一馬と同じように、彼女にも
傍らに仲間がいた。戦闘中、敵に刃を向けられると、庇ってくれる人がいた。出
遅れた自分を信じて待っていてくれた人達がいた。
 その度に、さくらはおのれの未熟さを痛感していた。
「ごめんね・・・。あの時、あたしを庇わなければ───」
 さくりと草を踏みしめる音に、さくらは振り向いた。そこに立っている人物に
あわてて頭を下げる。
「す、すいません・・・、あたしっ」
「いや───かまいません」
 同じく花と、線香を持ってきた男が、目礼を帰した。
 さくらは、その男に場所を譲った。
 彼は桜の樹の前に片膝をつくと、静かに目を閉じた。さくらはその後ろ姿をじっ
と見守る。
 やがて彼は密やかに、礼を述べた。
「ありがとうございます、武を訪ねて下さって」
「そんな・・・。あたしには、お墓参りする資格がありませんから」
 男は振り返らないまま言った。
「昔のことですよ。父も母も、もう気にしてはいません」
「でも、許してはもらえません」
「・・・」
 男が立ち上がった。肌の色は白いのだが、弱々しさは感じさせない。さくらよ
り、頭二つほど背が高い。歳の頃は大神と同じくらいだろうか。
「おかしなものですね・・・。武は家の墓の下に眠っているのに、何故かここに
来てしまうんですよ」
「嶺川さん───あたしも。あたしも、ここに来ると、たけしくんが幹の影から
ひょっこり出てくるような気がするんです」
「そうですか」
 男は頷いた。さくらは逃げ出したい気持ちを抑えていた。武の家族と鉢合せす
るとは、思ってもみなかった。その為にわざわざ、墓前を避けてここにやって来
たというのに・・・。
「真宮寺さん。帝都に行かれたと聞いていましたが?」
「え、ええ。お休みがもらえたので、帰ってきてるんです。今、帝国歌劇団とい
うところでお芝居をしています」
「銀座にある、少女歌劇ですね───そこに、真宮寺さんが?」
「はい」
 さくらはうつむく。
「あやしいですね」
「え? な、何がですか!?」
「───空模様」
 嶺川が天を指差す。雲の厚さが増し、いまにも降り出しそうだった。
 遠くから、蒸気鉄道が向かってくるような、低い唸りが聞こえてきた。
「か、雷!?」
「戻ろう。ここは危険だ」
 嶺川は手桶をつかむと、もう片方の手でさくらの腕を取った。さくらは引きず
られるように、丘を駆け降りる。
 墓地にたどり着く頃には、大粒の雨が地面を叩き始めた。
「本堂で休ませてもらおう。この分だと・・・」
 嶺川の言葉が終わらぬ内に、空に稲光が走った。
「きゃあああああっ!」
 さくらは相手の腕にしがみついた。
「さくらっ、こっちへ!」
「つ、つよしちゃん、置いてかないで・・・っ!」
 轟音がさくらの悲鳴をかき消した。
「大丈夫、まだ遠いから」
「で、でも・・・」
 早くも泣きべそをかき出したさくらを、嶺川は寺の縁側に押し上げた。勝手に
雨戸を開けて、入り込む。
 躊躇していたさくらも、雷鳴に怯えて後に続いた。
 嶺川はご本尊に手を合わせて、腰に付けていた手拭をさくらに差し出した。
「ありがとう・・・、つよしちゃん」
「いいけど、戻ったね」
「?」
「呼び方」
「あっ!───ごめんなさい」
 さくらは顔を真っ赤にして、手拭の中に埋めた。昔は、幼馴染みの彼を「つよ
しちゃん」、遊び相手のその弟を「たけし」と呼んでいたのだ。
「すみません、つい・・・」
「いや、いいんだ。良く考えたら、かしこまるような仲じゃないんだし」
 剛はそう言って、ぺたりとさくらの隣に腰を下ろした。
「・・・桜、散ってしまいますね」
「この雨脚だとね」
「上野はもう・・・、散ってしまいました」
「そうだね」
 嶺川は相槌をうって、それからはにかみながら付け加えた。
「実は、俺も今、帝都に住んでいるんだよ。この春はおのぼりさんらしく、上野
で花見さ」
「・・・そうだったんですか」
 初耳だった。家は近いのだが、武の一件以来、嶺川の家とは疎遠になっている。
「じゃあ、一度見に来てくださいね」
「うーん、貧乏学生には辛いな・・・。でも、さくらが女優とはね」
 嶺川は笑いを洩らした。
「似合いませんか?」
「さくらは、剣の道に進むんだと思ってたよ」
「・・・」
「どうして、また女優になろうと思ったの?」
 さくらは、手拭いをもてあそびながらつぶやいた。
「───わからないんです」
「わからない?」
「父の、その、知り合いの方に、声をかけていただいたんですけど、そのう、割
りと成り行きで女優になったところがあって・・・。芝居の経験もないのに、良
い役をもらって、奇麗な衣装を着せてもらったりすると、時々思うんです。あた
し、どうして帝劇にいるんだろう、どうして女優なんてやってるんだろう、って」
 嶺川はため息をついた。
「幸せな悩みなんだね」
「・・・そうかもしれません」
「でも誰にでもあることだよ、『ここが本当に自分の居場所かどうか』と思うの
はね」
 さくらは、もう半分の真実を話していない。以前は、それでも、女優業も『使
命の一つ』だ、と意気込んでいた。
 この春までは。
 だが、戦い終えて、父の遺志を継いだ帝国華撃団としての役割を終えてから、
急に自分に自信がなくなってきたのだ。
 本当に、ここで何かを成し得たのか、と。
 一度は帝劇を飛び出て、修業をしなおそうかとも思い詰めたほどに。
 でも、それが出来なかったのは、大神が・・・。
「好きなの?」
 突然の問いかけに、さくらは手拭を取り落とした。
「ええっ!?」
「女優の仕事は、好きかい?」
 勘違いに気付いて、さくらは赤くなりながら、答えを探した。
「わ、わからないです。やっぱり・・・」
 その時、雷鳴が頭上で響いた。
「いやああっ!」
 さくらは、思わず嶺川に抱きついた。ここでの雷は嫌だ。たけしに雷が落ちた
時の恐怖がよみがえる。
「───じゃ、辞めるんだね」
 震えるさくらに、嶺川は冷たく言った。怯えて混乱していたさくらが、その言
葉の意味に気付いたのは数瞬後のことだ。
「え・・・」
「誰かに誘われたから、良くしてくれるから、そんな理由しか見当たらないのな
ら、辞めるんだね、女優なんか。さくらが、帝劇にいるのは、もっと別の理由な
んだろう?」
「・・・つよしちゃん」
「芝居のことは、俺には難しいから判らないけど、でもこれだけは、俺にも言え
る。さくらは、もう木刀を振り回して、駆け回っていたさくらの顔はしていない」
 嶺川はどことなく、さみしそうにぽつりと言った。
 いつのまにか、大人になっていた幼馴染みの少女に向けて。
「女の顔してるよ」

 休暇を終えて大帝国劇場に戻ったさくらに、大役が待っていた。
 六月の演目、「花や散るらん」のヒロイン、熊野(ゆや)。
 能楽を題材にした平安王朝物で、カンナ演じる平宗盛(たいらのむねもり)の
愛妾である。
 桜の花咲く清水寺で、熊野が舞うシーンがあるので、さくらは日舞の練習を強
いられることになった。毎日、他の出演者とは別メニューで特訓を受ける。
 慣れない水干と踊りに、幾度か挫折感を味わい、そのたびにさくらは嶺川の言
葉を思い出していた。
(辞めるんだね、女優なんか)
 ある夜、サロンで皆がお茶を飲んで談笑している最中、さくらは席をはずそう
とした。舞台でもう一度、昼に間違えた振りを、さらい直してみようと思ったの
だ。
 サロンの扉を閉めて、階段を下り始めたさくらの耳に大神の声が届いた。
「さくらくん。ちょっと待って」
 休演中なので、モギリの制服ではなく、普段着の大神が立っていた。
「少し、いいかな・・・?」
 大神はさくらのすぐ傍まで下りてくると、気遣わしげに言った。
「さくらくん、最近元気ないよね・・・。それで、心配になって、さ」
「大神さん」
「いや、俺には女の子のことはわからないけどっ、もし身体の具合でも悪いんだっ
たら無理しないで───」
「大神さん、ありがとうございます。そんなんじゃありませんから、大丈夫です」
 さくらはうつむいた。
 薄暗い廊下はしんと静まりかえっている。
「じゃあ、なにか気にかかってることでも、あるのかな? ・・・もし、俺でよ
ければ」
 大神は静寂に耐えきれないかのように、言葉を継いだ。
 大神と二人きりのチャンスなど、そう滅多にあるものではない。
 さくらはためらいを残しながら口を開いた。
「あの、大神さん。春に───」
 だが、そこでさくらは気付いた。
 大神がさくらを追ってくる。
 このシチュエーションに、誰もが黙っているはずがない。
 ということは、大神は自分の意思ではなく、花組の皆に後押しされて尋ねにやっ
て来たのに違いない。
───自分の意思ではなく。
「・・・何でもないんです。ごめんなさい」
 さくらはうつむいたまま、階段を駆け下りた。

 それから、さくらは大神にも、花組の他の面々にも、内心を打ち明けずに初夏
を過ごした。嶺川からは、自分の住所と、時節の挨拶だけの簡潔な葉書が来た。
 今のさくらには、そんな素っ気なさがありがたかった。
 さくらは返信に舞台で熊野を演じていることを書き加えた。
 嶺川は観にやっては来なかった。

 出番のなかった七月が過ぎ、夏休み公演の稽古が早くも始まった。
 対象年齢を子供にしぼった「海と空のあいだ」という西洋風ミュージカルであ
る。
 今回は、花組総出演となる。さくらの役どころは、オルミア王女の侍女キリス。
実は悪徳宰相ラキエの放ったスパイという、今まで清楚なイメージの役が多かっ
たさくらには珍しい配役だった。

 ある午後、花組全員に、米田からあやめの部屋に集まるよう指示が出された。
 普段、立ち入り禁止の場所だけに、皆が首をひねりながら席を立とうとしたと き、
かすみがやって来てさくらを呼び止めた。
「あの、お友達が見えてますよ? 郷里の方とか・・・」
「誰でしょう?」
「男の方ですよ。嶺川さんとおっしゃる」
「!」
 さくらは、時間をもらうとサロンに嶺川を通した。
 銀座まで出向いてくるためか、仙台で会った時よりも数段あらたまった格好を
している。
 さくらは、顔を赤らめた。帝劇という、現在の生活の場に、幼い頃の知人が入っ
てくるのが、少し気恥ずかしいだけだ。さくらは、そう思い込もうとした。
 春に再会した際のきまずい別れ方は、極力意識しないように務めた。
「・・・やあ」
 薄く微笑むと、嶺川は手土産のチョコレートを差し出した。
「ここに来るまで、半信半疑だったよ。でも入り口に来月分のポスターが貼って
あって、さくらの名前があったから───」
「そんな、恥ずかしいです」
 さくらは、椅子を勧めると、紅茶を入れた。なにかしていないと、間が持たな
い。チョコレートの包みを開いてテーブルに並べた。
「お持たせですみませんが・・・」
「───この間、武の十三回忌だったんだ。それで、親父とおふくろに、さくら
が来てくれたことを話したよ」
「え・・・」
「二人とも感謝してた。・・・親としては、まだ許せてはいないかもしれないけ
ど、ね。でも、さくらのせいじゃないことくらい判っているから。それを伝えた
くてさ」
「つよしちゃん・・・、わざわざ、ありがとう」
「いや。思えばさくらと、あの一件の話をまともにしたことないからね。ちょう
ど良い機会だと思って───さくら、春に雷をこわがっていただろう?」
「・・・」
「やっぱり、さくらにも、心の傷が残っているんだな、って。薄情なようだけど、
武がさくらの心の中に残っているような気がしたんだよ。怒るなよ?」
「うん・・・。怖いだけじゃないの。悲しいような、胸が締め付けられるような
気がする」
「そうか───俺は、武の兄として『もう充分だ』というべきなんだろうな」
 嶺川はゆっくりと紅茶に口をつけた。
「良い暮らししてるんだなあ。さすが、人気スターだ」
 彼はそこで、はぐらかすようにゆっくりとサロンを見回した。
「つよしちゃんたら、からかわないで」
「でも、改めて見ると、やっぱり女優さんぽくみえるよ」
「女優っぽく? 『ぽく』というのは何よ。これでも娘役の期待の星なんですか
らねっ」
「ははは、これは失礼」
 さくらは、頬を膨らませてそっぽを向いた。
「ここに、残っているってことは、悩みは解決したの?」
 さくらは首を振った。そして、弁解をするように
「・・・でも、頑張っていれば、なんとかなるような気がするの、あたし、こ
こから逃げる訳にはいかないから」
「───女の子って、変わるな」
「え?」
「───さくらがここにいる理由は、さくら自身わかっているんだと思う。で
もそれを、誤魔化しているんじゃないかな」
「どういうこと?」
「さあ。自分自身を騙せるほどの嘘を見抜けるほど、俺は大人じゃないからね」
 嶺川は肩をすくめた。
「たけしのことがあってから、ほとんど顔を合わせなくなったけど、時々、遠く
から見かけて思ってた。なんだか、無理してでも前を向いてるなって───俺の
両親に何を言われても、廻りに何か言われても、一生まっすぐに生きていくんじゃ
ないか、と思ってた。俺はそういうさくらが強いと思ったし、さくららしいと思っ
てた。───武の分まで過剰に期待していたかもしれない」
 嶺川は紅茶を飲み干すと、立ち上がって帰り支度を始めた。
「さくらがそうすることで帝劇にいられるなら、俺はもう、何もいうことはない。
武のことも、俺が免罪符を与えなくとも、さくらはやっていけるだろうからね」
「あたし、別に誤魔化してなんか・・・」
 さくらには、他に言い返すことが出来なかった。帝撃のことも、大神のことも、
彼は知らない。いや、きっと話したところで、同じことをいうのだろう。思い詰
めるばかりで、何にもぶつかっていこうとしないのは、さくららしくない、と。
「ああ、これ」
 嶺川はポケットから一枚の葉書を出した。
「暑中見舞を書いたんだけど、今日、直に会って渡せると思って投函しなかった
んだ」
 そこには、わずか数行。
『雪とのみ 降るだにあるを さくら花 いかに散れとか 雨の降るらむ』
「・・・古今の和歌をもじってあるんだ。本来は『風の吹くらむ』なんだけれど
ね」
 嶺川はさくらを正面から見つめた。
「俺の知っていたさくらは、あの雨ですっかり散ってしまった。それが、良くわ
かったよ」

[NEXT]