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夏公演の練習期間は、スケジュールが立て込んでいる。
朝食が終わると、花組は舞台に集まって、場面ごとの稽古に入る。
第二幕のすみれの独唱から、その日は始まった。
舞台袖では、さくらがすみれの動きを注視していた。後ろに大神がやって来た
ことにも気付かぬほど、熱中している。
「どうしたの? さくらくん」
「ああっ、大神さん。どうして、ここへ?」
「いや、柿本君に伝票整理教えるはずだったんだけど、さ。アイリスに連れてか
れちゃったよ」
「柿本さん、アイリスのお気に入りになっちゃいましたもんね」
新人の少年はアイリスがなくしたブローチを見つけたおかげで、彼女の良い遊
び相手として気にいられてしまったのである。
「おかげで閑人さ。さくらくんは、何してるの?」
さくらは、しばらくためらった。大神と二人で話をするのは、久しぶりのこと
だ。少し、意識してしまう。
「今、第三幕の打ち合わせ中なんです。すみれさんの独唱の場面なんですけれど」
さくらは、舞台上に置かれた、ベッドやテーブルの上を滑るように移動しなが
ら、客席に向かって歌うすみれの足元を指差した。
「すみれさんって、飛んだり跳ねたりしても、粗野に見えないんですよね。あた
しもすみれさんと同じように歩いているつもりなんですけど・・・。」
「さくらくんと、すみれくんの違い、か・・・」
大神はしばらく腕組みしていたが、やがてぽつりと言った。
「うーん、脚の運び方、かな?」
「脚?」
「そう。別にさくらくんがどたどた歩いてるっていう訳じゃないよ。ただ、なん
というか、剣術で一歩踏み込む時の脚さばきを連想してしまうんだ」
「・・・それって、女らしくないってことじゃないですか?」
さくらが拗ねてみせる。
「いやっ、た、単に元気がいいってことだよ、ははははは」
大神が冷や汗をかきながら弁解する。知らず知らず、さくらのつねりを警戒し
ているのが、ご愛敬だ。
「───すみれくんは小さい時から、日本舞踊を学んでいるんだろう? こう、
脚の中指から歩いているような気がするんだ」
「脚の、中指?」
「うん。爪先の中心に力が入っていて、親指、人さし指は添え物ってカンジかな?」
大神は、自分の手で、すみれの動き方を再現してみせる。ふむふむと、それを
見ていたさくらだが、やがて大神に向き直った。
「大神さんて、すみれさんのこと、ようく見てらっしゃるんですね!」
「いいっ!?」
「弁解はいいですっ!」
さくらは、くるりと身を翻すと、舞台袖から客席に下りていってしまった。
「おいおい・・・」
困り顔の大神が、頭をかく。
(なによっ、大神さんたらもうっ、ばかっ!)
(かなう訳、ないじゃない! すみれさんは昔っからお芝居や踊りを習ってて、
お母さんは大女優さんで)
(あんな、女優として生まれてきたような人と比べないでよ───)
オケピットの後ろにでんと腰を下ろしたさくらは、すみれの動きを眼で追いな
がらため息をついた。
(大神さんは、誰にでも優しい。誰のことも良く見て、気を配って───当然よ
ね。隊長なんだもの)
(一回でいいから、あたし一人を、あたしだけを見て欲しいのに)
(大神さん───もし、あたしが、すみれさんのように演じることが出来たら、
あたしのことも褒めてくれますか───?)
もし、それが叶ったら。
今度こそ、はっきり訊こう。大神の気持ちを。
やっと、自分の気持ちがはっきりする。。
さくらが、今ここにいるのは、そのためなのだから。
夕方になって第三幕が始まり、さくらの出番がやってきた。
中央にでんと陣取った宰相と密談を終えると、暗い王宮で一人、歌い始める。
『闇に潜みて』。さくらに与えられた、物悲しい歌曲だ。
さくらは、テーブルの上から燭台を取り上げると、客席にかざしながら声を張
り上げる。
舞台袖で見ていたマリアが首を傾げる。昨日までは、もっとゆっくりとした移
動だったはずだ。
案の定、さくらの足元は頼りない。クラシックスタイルのドレスに、慣れてい
ないのだ。客席で、演出家が立ち上がったと同時に、さくらが派手な音を立てて
転倒した。
「さくら!?」
持っていた燭台が転げて、隅のカーテンに火がついた。傍にいた脚本家の野際
が、上着を脱いで叩き、消し止める。舞台袖や客席に散らばっていたメンバーや
裏方衆が集まってくる。
マリアが駆けよった時、さくらはまだ舞台上でうずくまっていた。
「脚を痛めたのね」
さくらは自分の部屋まで運び込まれ、マリアとかすみによって手当を受けた。
「もしかしたら、熱を持ってしまうかもしれないから、明日の稽古は休んだほう
がいいかもしれないわね」
「すみません・・・」
「ペチコートで裾を膨らませたドレスは、膝から下で、蹴りあげるように歩かな
いとダメなのよ」
「・・・」
ベット脇で吐息を洩らしたマリアが、うってかわって優しい声音になった。
「少し、練習すればこつが掴めるようになるわよ」
「あ、あのっ、マリアさん」
手当を終えたかすみとともに、部屋を出ようとするマリアをさくらが呼び止め
た。
一人残ったマリアに、さくらはおそるおそるといった風に切り出した。
「マリアさんは、どうして帝劇の女優になろうと思ったんですか?」
マリアの眼が丸くなった。
しかし、真剣なさくらのまなざしに、ふっと眼を逸らして答える。
「・・・私の場合は、そうね、あやめさんに騙された、ってとこね」
「騙された・・・ですか?」
「帝撃の仕事に女優業が入っているなんて、一言も聞かされてなかったもの。騙
されたのと同じことね───さくらは? 自分から来たのでしょう? お父様の
縁で」
「ええ。でも、あたし、お芝居なんてやったことなかったし」
「私もそうよ。来た早々、カンナと二人、芝居や舞踊を見せられて、習い事させ
られて大変だったわ。カンナなんて何回か逃げたし」
「カ、カンナさんがですか!?」
「そう。ふふっ、そのたびにあやめさんに連れ戻されてくるの。『桐島流では、
逃げ出すのは御法度じゃないの?』って」
「はあ・・・」
「一度、三人でバレエを見に行ったの。それで、決心がついたかな。アンナ・パ
ブロワという、世界的に有名なプリマだったのだけれど」
「バレエですか・・・。カンナさんとマリアさんが」
さくらは、感心したとも、あきれたともつかない声を出して、ベットに身を起
こした。
「あ、あの・・・、じゃあ、マリアさんは、その、女優をやっていて楽しいです
か? 何だか、違うなあって思ったことありませんか?」
「楽しい・・・?」
マリアが顎の下に指をあてた。
「楽しい、ねえ。あまり、そういうことは考えたことがなかったわね。仕事だ
し・・・、ただあやめさんの言うとおりにしていただけ。どうして、そんなこと
を訊くの?」
「いえ、別に・・・」
「───さくらは、楽しくないの? 私と違って、そのう、可愛い衣装だって着
れるのに?」
「前は、楽しかったんですけど・・・」
今、何故ここにいるのか気付いてしまってから、以前のように無邪気に喜べな
くなっている。
皆が真剣に女優業に取り組んでいる時に、自分一人、不純な動機でとどまって
いるような気がしてならない。
「やっぱり、すみれさんとか、マリアさんとかと比べて、あたしの演技なんて大
したことないし。このままいても、役に立つのかなって」
さくらは、小さく笑った。
「おかしいですね。あたし、平和になったことに戸惑っているみたい」
「さくら・・・」
「ごめんなさい。本当に」
そのまま自室で夕食を取ったさくらの食器を下げに来たマリアは、寝入ってい
るさくらに布団を掛け直して、部屋を出た。
サロンに戻ると、もう誰も残っていない。この分だと、大神が見回る頃に誰か
が手を煩わせることもないだろう。マリアは安堵して、散らばっていた雑誌や新
聞を片付けた。
「あら、これ・・・?」
古い日付の帝都日報の、文化面の小さな記事がマリアの気を引いた。
「さくらじゃない・・・」
その記事を読み下したマリアは、丁寧にたたんで書庫へと持ち去った。
夜来の雨が帝都の石畳を叩いていた。
白々と明るい窓の向こうは、花をも散らす雨。
ぼんやりと寝起きのはっきりしない頭で雨音を聞いたさくらは、寝返りをうっ
て、枕に顔を埋めた。
(雨は、嫌い───)
かさり、とドアの向こう側に人の気配がした。そのままノックするでもなく遠
ざかる気配に、さくらは身を起こした。
ドアの下から、何かが差し入れられている。
「・・・?」
さくらはゆるゆると起き上がると、挟み込まれたそれを拾い上げる。
帝都日報だが、日付が今日のものではない。
開いて見て、さくらは隅の記事に眼を止めた。そこには小さいながら、さくら
の顔写真が載っていた。
「帝劇のエトワールに、真宮寺さくら嬢」
「エトワール」という耳慣れない言葉に、さくらは記事を読み下す。
みるみる内に、さくらの頬が紅潮した。
エトワールというのは、歌劇で歌のうまい役者に与えられる称号で、少女歌劇
としては帝劇の先輩格にあたる、兵庫の宝塚歌劇団で既に使われ始めていた。
「そんな、あたしが、歌姫・・・?」
こんな大層な称号が貰えるほど、自分は女優としての働きがあるだろうか。
さくらは眼をつむってゆっくり、昨年春からの舞台を思い出した。
クレモンティーヌ、シンデレラ、ディアヌ、イライザ、熊野・・・。
お世辞にも、うまくこなせた、とは、さくらも思っていない。
ただ、無我夢中だった。懸命さだけが、とりえの舞台だったと思う。
(あたしだって、あたしだって、頑張ってる・・・んだよね?)
ここに大帝国劇場があるのは、地脈の霊気を高めるため。
あやめにそう聞いた。ならば、と拙いながら歌や踊りを見せてきた。
それがこういう形で認められる日が来るなどとは、思ってもみなかった。
(霊気とは、人の「想い」の力───)
舞台で舞う時に、そして歌う時にこめた平和への祈りは嘘ではなかったはず。
(あたし、認めてほしい。ここにいることを。大神さんにも、つよしちゃんにも)
さくらはベットをおりると、事務局に向かった。
幸い脚の痛みはさほどでもない。
かすみを拝み倒して、「海と空のあいだ」とチケットを譲り受けると、部屋に
こもって長い手紙を書き始めた。父の遺志と、大神と、自分自身のことを。
自分に恥じる部分がないのなら、包み隠さず話してしまおうと思った。
最後に宛名を記す。
「嶺川剛様」
稽古に向かう途中、さくらは事務局に寄って手紙を託した。
その日の稽古で、さくらは初めて望んで舞台に立った。
この公演が終わったら、良くも悪くも、前に踏み出そう。
そう、心に決めて。
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